一言:過まれるを改むる善の、これより大きなる無し
(あやまれるをあらむるぜんの、これよりおおきなるなし)
意味:過ちを改めるのは善いこと
(慈円 『愚菅抄(ぐかんしょう)』より)
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慈円(じえん)1155年~1225年 鎌倉時代の天台宗の僧。 |
人は誰でも過ちを犯します。
テストでミスした、、
仕事で失敗してしまった、、
友達にひどい態度をとってしまった、、
などなど。どんなに注意しても避けられません。
そんな時、反射的に自分に都合の良い言い訳を探した経験はありませんか?
「この鉛筆が悪くてテストに集中できなかった」
「しっかり命令してくれなかった上司にも責任あるはずだ」
「あの人があんな態度だから、私も同じことしてやったんだ」
・・・だから自分は悪くない!!
私達は「過ちを犯した」と感じても、何かへ責任転嫁した後、反省を忘れていきます。
中には、うわべだけ謝って内心は舌を出している人、
自分に都合の悪い出来事はさっさと忘れてしまおう、と目を背けてしまう人もいます。
確かに、過ちや失敗には色々な乗り越え方があります。
ただ、反省しない乗り越え方をすると、再び同じような過ちを招いてしまうことがあります。
そして同じ過ちを繰り返していると、だんだんと客観的に「過ち」と判断する力が弱まっていきます。
そんな時は、そもそも過ちを犯さず一生を終える人なんて一人もいない、という事実を思い出してみましょう。
大切なのは、過ちを犯した後。
心苦しかったり、屈辱的で自己嫌悪に陥ってしまっても、
「何が自分をそうさせてしまったのだろう?」
と、自分と向き合い、素直に改めていけるように努力してみましょう。
きっと少しずつ心のわだかまりは和らぎ、過ちを乗り越える事ができるはずです。






