おてらいふの一言:放下著(ほうげじゃく) | おてらいふ WWW.OTELIFE.COM | お寺のある生活を、もっと身近に

一言:放下著
    (ほうげじゃく)

意味:一切を捨て去ってみる
(禅語 『従容録』より)

その昔、厳陽(ごんよう)という僧が、唐代の名僧である趙州(じょうしゅう)禅師を訪ねた時のことです。

無一物で悟りを開いたとされる厳陽は、趙州禅師にこう尋ねます。

 「一物不将来の時如何」
 (私は悟りの為に全てを捨てて、何も持っていません。
 この先どんな修行をすればよいでしょうか?)

謙虚に見える厳陽ですが、悟りを開いたという自負から自信に満ちています。
趙州禅師はこう答えます。

 「放下著」
 (捨ててしまえ!)

厳陽は、自分が何も持たず、澄みきった状態にあると信じていた為、びっくりします。

「放下」とは、執着を離れる、こだわらない、捨て去るという意味を持っており、「著」は、強い命令の助詞で「~せよ!」と言う意味なので、「捨ててしまえ!」と解釈できるからです。
納得いかない厳陽、再び尋ねます。

 「已(すで)に是れ一物不将来、這(こ)の什麼(なに)を放下せん」
 (ですから!私は無の境地を悟り、何も持っておりませぬ。
 一体何を捨てたらよいのでしょう!?)

趙州禅師は、こう答えます。

 「恁麼(いんも)ならば則ち担取し去れ」
 (なら、担いでいけ)

「捨てろ」と言ったのに、今度は「担げ」?
果たしてその真意は?

そう、執着にとらわれるな、と言いたかったのです。
つまり・・・

「厳陽さん、あなたは何も持たず、無一物で悟りを開いたのかもしれない。
でも、「私は無一物になったぞ、悟りを開いたぞ」と周囲に主張し、執着を抱えこんでしまっているではないですか。

『悟ったこと』にも執着してはならないのです。
それでも執着を捨てられないのなら、いっそ担いでいったらよいでしょう」

趙州禅師は、「捨てたという意識」さえ捨てろと伝えたかったのです。

世界は豊かで安全になったにも関わらず、依然としてストレス社会と言われています。
しかし、その多くの苦しみは・・・

 ・~歳だからもっとお金を貯めておかないと
 ・~歳だからこれくらいの車に乗って時計も良いのをつけてないと
 ・同年代の平均よりは良い生活をしたい

など、「執着」や「こだわり」、世間体を意識し過ぎた事に起因しています。

肩書き、お金、見栄・・・
捨ててしまえば楽になるのに、年をとるほど捨てるどころか、どんどん増えて重くなっていきます。

執着を捨て、本来の自分に戻ると、物事がありのままに見えてくる、これが「放下著」の持つ意味なのです。

とはいえ、刷り込まれた世間の常識を取り除くのは難しいものです。

人生は短いもの、良い意味で不要なものさしを捨て去り、あるがままの自分をご確認してみてはいかがでしょうか。