一言:自浄其意
(じじょうごい)
意味:清らかな心でいよう
(禅語 『七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)』より)
『自浄其意』が書かれている『七仏通戒偈(※1、2)』はたった四行だけの偈文(げもん)です。(※3)
・諸悪莫作(しょあくまくさ) :【悪い事をしないで】
・衆善奉行(しゅぜんぶぎょう):【善い事をしなさい】
・自浄其意(じじょうごい) :【自分自身で常に心を浄めていること】
・是諸仏教(ぜしょぶっきょう):【これが仏の教えです】
その昔、中国・唐代の詩人である白居易(はくきょい)が禅の道を求め、道林(どうりん)和尚を訪ねた時のことです。
白居易は、道林和尚に尋ねます。
「和尚、仏教の教えとは何でしょう?」
これに対して道林和尚は即答したそうです。
「諸悪莫作、衆善奉行(悪い事をせず、善い事をしなさい)」
白居易は拍子抜けして、
「いやいや、わかっています。そんなことは三歳の子供でも知っていますよ」
道林和尚は真顔で言います。
「三歳の子供でも知っていますが、八十歳の老人でも実際行うのは大変でしょう」
このお話は「知っている」「わかる」「できる」というのは、似ていて異なるということを考えさせてくれます。
今の私達の世界は価値観が多様化した反面、善悪の意識がとても曖昧です。
当然、誰もが「悪い事をしてはいけない、良い事をするべき」と頭ではわかっています。
例えば、Aさんの隣の家に車があったとします。
隣の家とは挨拶を交わす程度で、それほど親しくありません。
しかし、Aさんの家よりも良い生活をしているのは家の大きさや車種を見れば明らかです。
Aさんは偶然通りかかった時に、隣の家の車のタイヤがパンクしているのを見ました。
そんな時、隣人が家から出てきて挨拶してきました。
車に乗ろうとしている隣人、まだタイヤがパンクしている事は知りません。
隣人は車に乗って、どこかへ行きました。
Aさんは聞かれなかったからパンクしていて、このまま走り出すのが危険な事を伝えませんでした。
「別に悪い事をしていないじゃん。嘘をついたわけじゃないし、聞かれなかったから言わなかっただけ」
Aさんは思いました。
これは、善でしょうか、悪でしょうか。
多くの人は知識を駆使して「自分に都合のよい」善悪の判断をしてしまいしがちです。
では、明確でブレない善悪の判断基準を持つには、どうすれば良いのでしょうか?
『自浄其意(自らその心を清める)』
一人一人が自分自身の心を清めた状態に保ち、明確な善悪の判断基準を持ち続けるしかないのです。
神様も仏様も、両親も友人も、「気がつかせて」くれることはできても、直接あなたを救うことはできません。
「バレなきゃいい」
「いざとなったら逃げちゃえばいい」
などが許され、真っ直ぐな心を持った人が馬鹿を見てしまう社会では、次第に皆が自分勝手になってしまうでしょう。
誰にも見られていなくても、綺麗な心を保ち、悪い事をせず、善い事をする。
善い事をした人が、善い事をする人を生み、それがやがて良い社会を創り出していきます。
今日から善い事をする『起点』になってみてはいかがでしょうか。
|
※1:「七仏」とは お釈迦様から過去へさかのぼった七代の仏を指します。 ・毘婆尸仏(びばしぶつ) ・尸棄仏(しきぶつ) ・毘舎浮仏(びしゃふぶつ) ・拘留孫仏(くるそんぶつ) ・拘那含牟尼仏(くなごんむにぶつ) ・迦葉仏(かしょうぶつ) ・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) お釈迦様はご自分をこの世における最初の仏とせず、古仏の跡を歩んだとして、過去七仏の存在を説いたと伝えられています。 『七仏通誡の偈』とは、お釈迦様だけが説いたのでなく、この世にあらわれた諸仏が同じように説いている『普遍の理』という意味が含まれています。 |
|
※2:「通戒」とは 『七仏通戒偈』の「通戒」とは基本的な戒律をさしています。 例えば、「五戒」など戒律には色々(殺生をしない、不倫をしない)ありますが、一言ですべてを言い含めたものが通戒です。 |
|
※3:「偈文」とは 1句4文字、5文字、7文字の漢文の讃歌を言います。 |






