一言:明歴歴露堂堂
(めいれきれきろどうどう)
意味:妄想から離れた心の目には、曇りのない世界が見えてくる
今日はパソコンを使い始めて何時間くらいでしょうか?
1時間?5時間?10時間?昨日からずっと?
パソコンは多くの現代人にとって手放せない道具となりました。
かつては新聞を読んだり、図書館まで行かなければ知り得なかった世界中の情報が、リラックスできる自分の部屋から、好きな時に、簡単に手に入る、これは本当に素晴らしいことです。
また、メールやチャットを使うことで、直接人と会わなくても最低限のコミュニケーションは取る事が可能になりました。
一日のほとんどの時間をパソコンの前で過ごし、自分の半径1m範囲しか見ない人もいるそうです。
でも、それは果たして「ありのままの世界」なのでしょうか?
パソコンの画面に映っている、限りなく現実に近い画像や詳細な情報などは、間違ったものではないにせよ、誰かがアップロードしたものであり、決して世界のありのまま、自然の姿ではないのです。
では、ありのまま、自然とは何でしょうか。
雨が滴り落ちる音、
突き抜けた青空の感覚、
季節ごとに様々な表情を見せる美しい花、
など、自然は不変の真理そのもので「あきらか」に、そして「堂々」と私達の前に存在しています。
相手の目を見て話した印象、
直接肌に触れる温もり、
気持ちが通い合った感覚、
なども同様です。
これらはパソコンで目的の情報を、好きな時に検索する自分の世界とは違い、唐突に、圧倒的な存在感と共に、私達にぶつかってきます。
パソコンやテレビの情報は、「明歴歴」で「露堂堂」な世界と比べると、やはり人工的な世界の断片でしかないと言えるでしょう。
頭ではわかっていても、自分が中心の便利な世界にどっぷり浸かり続けている人達は、五感が錆びついてしまい、物事や他人のありのままの姿が見えにくくなりがちです。
当然ですが、ありのままの姿が見えにくい人は、肝心なところで物事や人間関係がなかなかうまくいかない事が多くなってしまいます。その結果、心の目まで曇りはじめ、余計に色々な事が見えなくなってしまう悪循環にはまっていきます。
禅師は「見よ見よ、聞け聞け」と、目・耳・鼻・口・触覚の五感の全てで周囲の出来事を感じなさいと説いています。
私達がパソコンやテレビ、携帯電話などから大きな恩恵を受けていることは否定できませんし、これらを全く使わない生活に戻す事は難しいでしょう。
それでも、時にはパソコンや携帯を閉じて、自然や人と触れ合う機会を意識して増やしてみてはいかがでしょうか。






