お坊さんコレクション
第5回 永田 龍祥 さん (高野山真言宗:衆徳山 総持寺)
お坊さんに聞く!
【今、お寺はどうあるべきでしょうか?】
「情報を発信し続けること」
総持寺では、ホームページやブログ、「せんじゅ」という寺報(※1)を通して、常に皆様の目線を心がけた情報の発信を行っています。
(※1:寺報:お寺から仏教、お経、法話、連絡事項などの定期的に発行する情報媒体)
現代ではホームページ、ブログで情報発信する事が一般的になっています。
お寺の場合、これに加えて地道ではありますが寺報も大切な活動と考えています。
人々の心を元気づけ、地域を活性化させる行事や活動を行う事で、新聞記事など様々な媒体に取り上げて頂く事も大事だと思います。
最近では若い施主や壇信徒様が、都心部へ引っ越してしまうことも少なくありません。
お寺が情報を発信し続けることは、近隣の壇信徒様だけでなく、特に遠方にお住まいの檀信徒様とのコミュニケーションに効果的です。
また、以前から行なっている悩み相談には、日々様々な方々がご相談に訪れています。
お寺は今後、壇信徒様や住民の皆様に喜ばれて、お役に立つ内容の行事を行うのはもちろんですが、住職、副住職様をはじめとした、お寺の関係者も一緒に愉しんで続けていける、そんな活動を目指していければ最高だと思います。
総持寺のある高岡市は2009年に開町400年を迎えます。
地名の由来と深く関わる総持寺は、この機会に、より「開かれたお寺」としての新しい方向性を打ち出していく予定です。
【質問1】 檀家さんに法要通知をどのように行なっていますか?
ハガキ・寺報、いずれはメールでも行いたいと思っています。
【質問2】 檀家さんや参拝者との交流の場を設けていますか?
年1、2回の旅行(一泊~二泊)を行っています。
【質問3】 お寺の色々な行事の宣伝をどのように行なっていますか?
主にホームページですが、新聞広告・記事・電話帳なども利用しています。
【質問4】 お寺の行事に来る方々の年齢層や数は?
40代から90代の方々が100名、大きな行事では400名の方々がいらっしゃいます。
【檀家の方々へ一言】
皆様のおかげでお寺は健在しています。今後も長い目でお願い致します。
【参拝者の皆様へ一言】
お参りに来て頂いた方が、何かお持ち帰れるように心がけています。
衆徳山 総持寺
総持寺は富山県高岡市にある高野山真言宗のお寺で、禅恵法印を中興の祖とする古刹です。
創建当時、総持寺は現在の高岡市石堤の地にあったと言われており、前田利長(加賀藩二代藩主)守山在城の節は祈願所となりました。その後、高岡城移住の時、利長の意向により、慶長年間に現在地に移ったとされています。
慶長14年(1609年)、二十二世快雄和尚は、時の利長公高岡城築城の際、利長公より、当時関野と呼ばれたこの地の新たな命名を依頼されます。その際、快雄和尚は中国の詩経の一節から「高岡」と名付けました。
「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に」(詩経の一節より)
高岡市と総持寺には400年を超える深い結び付きがあるのです。

【高野山真言宗】総持寺(富山県高岡市)
永田 龍祥 さんプロフィール
【お名前】 永田 龍祥 (ながた りゅうしょう)
【年齢】 44歳
【宗派】 高野山真言宗
【お寺名】 衆徳山 総持寺
【役職】 住職
【趣味】 ドライブ・トレーニング
【尊敬する人】 師匠でもある父
【好きな一句】 生かせいのち
【パソコン利用頻度】 1日3時間程度度
【人物紹介】
1964年 静岡県浜松市の常楽寺にて3男として出生。
大正大学入学後、20歳の頃に四国八十八ヶ所遍路を徒歩にて踏破。
この時の体験が後に3男ながら僧侶の道を歩む「きっかけ」となる。
大正大学卒業後、1年間、高野山 専修学院にて修行。
学院卒業後、高野山 東京別院にて9年間奉職。
その際にお話を頂いた、富山県高岡市の総持寺に1998年に入寺。
先代住職の死去によりすぐに住職を拝命する。
また東京別院にて檀信徒の皆様と百観音巡礼を行い、観音様のご縁を頂き、現在の俗に「かんのんでら」と呼ばれる観音信仰のお寺に入寺する。
僧侶仲間と大峰山で山伏修行を行い、チベットを訪れるなどその積極的な活動は多岐にわたる。
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■「かんのんでら」と呼ばれる由縁は? |
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■男女関係のみに限定した「縁切り祈願」 |
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合掌 |
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