【曹洞宗】萩の寺東光院(大阪府豊中市)
概要
当院は、山号を仏日山吉祥林、寺号を東光院と呼び、天平7年(735)行基開創による曹洞宗別格寺院である。
もとは大坂豊崎の里(摂津国西成郡豊崎村下三番、現在の北区中津)にあって、境内に萩多く、通称「萩の寺」として親しまれ、「南の四天王寺、北の東光院」と並び称された格式ある古刹であった。
大正3年(1914)、阪急電車敷設により現在地に移転するも、戦争にはばまれ、移転復興も中途の仮住まいを余儀なくされた。
かつての名刹の偉容を知る人も少なくなつて久しかったが、ようやく近年境内整備・堂宇再建も徐々に進み、その中で判明した史実も少なからずある。
そうした点を、ふまえながら、当院の二百余年の歴史を略記したい。
■行基のこころを今に伝える萩の花
日本人の美と心を象徴する「萩」は、秋の七草の筆頭として知られるが、行基ゆかりの草花でもある。その名前の由来は「生え木」に由来し、古来から生命力の強さや復活を象徴する。すなわち再生を意味し、そこに先亡の霊への想いを表わす供花の源流がかいま見られる。
もと当院があった豊崎あたりは、古くから死人が出ると淀川河畔に捨ててしまう風習があり、「浜の墓」とも呼ばれた。のちに行基菩薩がこの地を訪れたとき、浜に風葬されている光景を見て、民衆に我国で初めて火葬の方法を伝授した。天平7(735)年、行基68歳の秋のことという。
行基菩薩は荼毘に付した死者の霊をなぐさめるため、自ら一体の薬師如来像を造り、その仏前に淀川水系に群生する萩を手折り供えた。それを縁に人々が浄財で薬師堂を建立したのが東光院の始まりである。
以来、「行基菩薩のこころ」として連綿と守り継がれた萩の花は、四苦八苦の人生を闘い抜く生命力の強さと、貧しく弱い人の心も、和合し合力することによって、大輪の花にも優る雄大なスケールの美と力が持てることを訴えつづけてきた。その伝統は今も萩とともに息づいている。
■毎月のご縁日
1日:道了大権現 お一日参り(火神商神、火盗除災、心願成就)
24日:あごなし地蔵尊 ご縁日(歯痛・口中の病平癒、 水子供養、子授・子安・大本願守護)
基本情報
| 寺院名 | 【曹洞宗】 萩の寺東光院 (なぎのてらとうこういん) | ||
| 住所 | 〒5600882 大阪府豊中市南桜塚1-12-7 | ||
| 電話番号 | 0668523002 | FAX番号 | 0668433876 |
| ホームページ | http://www.haginotera.or.jp/ | ||
| メールアドレス | |||
| 開門時間 | 休館日 | 無休 | |
| 駐車場 | バリアフリー | ||
| 交通 | ・阪急電車曽根駅より徒歩5分 ・名神豊中インターチェンジより車で10分 ・阪神高速豊中北ランプより車で5分 ・中国自動車道豊中インターチェンジより車で10分 |
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詳細情報
| 御利益 | 心願成就、子宝授與、先祖供養、水子供養、その他、その他 | ||
| 体験 | その他 | ||
| 葬儀状況 | 葬儀可能 | 墓地状況 | 空き有り |
| 墓地の広さ | 墓地の種類 | ||
| 永代使用料 | 年間管理料 | ||
| 墓地について | |||
あごなし地蔵堂
あごなし地蔵堂
寛文5年(1665)12月完成上棟<九昌院主光意代>
旧川崎東照宮御本地堂、豊中市有形文化財
道了大権現堂
道了大権現堂
(伝)小田原藩蔵屋敷内所在「道了権現祠(どうりょうごんげんやしろ)」
堂内より「天和4(1684)年正月吉日」銘の修理札が発見されている。
萩の散歩道
萩の散歩道
「大阪府みどりの百選」に選ばれた萩の散歩道です。
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