おてらいふ辞書あ行

※『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(Portal:仏教)2008年4月26日15:00(日本時間)現在での最新版を取得。



あ 行

足利尊氏(あしかがたかうじ)

鎌倉時代後期から南北朝時代の武将で、足利幕府(室町幕府)の初代征夷大将軍として有名です。
幕府を開いた後、弟の足利直義と二頭政治の中で激しく対立し、その後も南朝など反幕勢力の平定を継続し、統治の安定に努めました。
また、後醍醐天皇を弔うため天竜寺を建立したことでも知られています。

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阿如来世来

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アシュバッタ

釈迦がこの木の下で、座禅を組んで真理(菩提)を悟ったことから、悟りの木=ボーディ・ブリクシャ=菩提樹と呼ばれるようになりました。
菩提樹は常緑の高木で、高さは30m位になり、葉先が細長くなっているのが特徴です。先端が細長いのは雨の多い地帯に特有の形で、雨をスムーズに受け流すように発達したといわれています。
インドではアシュバッタあるいはピッパラと呼ばれ、古くから聖木として扱われ、数珠の材料や薬の原料としても利用されています。

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天照大神(あまてらすおおみかみ・てんしょうだいじん)

皇室の祖神(皇祖神)の一つとされている日本神話に登場する太陽を神格化した神(人格神)です。
『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神と表記されています。
全国各地にある天照大神を祀る神社は神明神社と呼ばれ、その総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮(皇大神宮)で、三種の神器の一つ「八咫鏡(ヤタノカガミ)」が御神体として安置されている神社とされています。

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阿弥陀如来

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安国寺(あんこくじ)

足利尊氏・直義の兄弟が、夢窓疎石の勧めによって国家安穏を祈願し、南北両朝の戦没者供養の為、日本各国ごとに建立させた臨済宗に所属する一寺一塔の禅寺のことを呼びます。
室町時代には非常に栄えたと伝えられていますが、戦国時代は衰退の一途を辿りました。その後、天正七年(1579)安芸の安国寺の出身である安国寺恵瓊が再興したとされ、現在の釈迦堂を中心に海岸にまでのびる境内を整備したそうです。
しかし、江戸時代から明治、大正にかけて再び衰退し、大正九年に本堂が焼失してからは唯一の釈迦堂が荒廃して一時廃墟に近い状態になってしまいます。
昭和二年に歴代住職達の再興に向けた努力により、仏殿が国宝に指定されたのを皮切りに、昭和七、八年に解体修理が施されます。
昭和十七年には弥陀三尊像や法燈国師像も国宝に指定され、修理作業も進み、現在では文化財にふさわしい威厳を保っています。

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氏神

氏神は、「氏」の神と書くように、古代の氏族組織であるウヂが祖神または守護神として祀っていた神のことでした。(例えば藤原氏は祖神として天児屋根命を、守護神としてタケミカヅチを氏神としていた)
その後、血縁関係にある一族だけでなく、その氏族とともに生活を営む者も含め「氏子」と称するようなりました。中世初期に日本の地域社会で庶民の間でも古代のウヂに仮託したウヂ組織が形成されたことはこれに起因しています。
室町時代では、氏神の周辺に住み、その氏神の祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなりました。

※鎮守はその土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神のこと、産土神は産まれた土地の神のことです。かつては、生まれてから死ぬまで一定の土地に住むことが多く、人々にとって産土神と鎮守は同じ神でした。

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産土神(うぶすなかみ,うぶしなのかみ,うぶのかみ)

産土神は生まれた土地を領有、守護するとされ、日本人の郷土意識と強く結びついた信仰と関わる神です。
氏神、氏子の関係が血縁集団を基にして成立しているのに対し、産土神は地縁集団としての信仰意識に基づいています。
例えば中世の京都では稲荷神社、御霊神社、賀茂神社、北野神社などの有力な神社を中心に産土神を基にした産子区域の観念が発達しました。
これにより産土詣での語が一般に使われるようになり、生まれた子の初詣をはじめ、成年式、七五三等に産土詣でをする風習が盛んになりました。

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縁起プロジェクト(えんぎ ぷろじぇくと)

仏教の根本にある「すべての人間やあらゆる生命が人知を超えた力で結ばれている=縁」という思想を広めたいと立ち上げられたプロジェクトです。

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延暦寺(えんりゃくじ)

平安時代初期の僧侶最澄(767年~822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院で、滋賀県大津市坂本本町にある標高848メートルの比叡山全域を境内としています。
京都の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称されるなど、延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多いようです。
住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ末寺を統括しています。
高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心だったと伝えられています。
また、天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て強大な力を持っていたと言われます。
特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競っていたそうです。
延暦寺は「日本仏教の母山」とも称され、以下の数々の名僧を輩出しています。

・日本天台宗の基礎を築いた 円仁、円珍
・融通念仏の開祖 良忍
・浄土宗の開祖 法然
・浄土真宗の開祖 親鸞
・臨済宗の開祖 栄西
・曹洞宗の開祖 道元
・日蓮宗の開祖 日蓮

現在でも「12年籠山行」「千日回峯行」などの厳しい修行が続けられており、日本仏教の代表的な聖地として、ユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

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大神神社(おおみわじんじゃ)

奈良県桜井市にある三輪明神とも呼ばれる大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀っている神社です。
日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称され、日本国内で最も古い神社のうちの一つであると考えられています。
三輪山そのものを神体(神体山)としている神社であり、今日でも本殿を持たず、拝殿から三輪山そのものを仰ぎ見て拝むという、原始の神社の形態を残しています。
これは自然物崇拝の原始信仰の特色であり、三輪山信仰は縄文時代~弥生時代にまで遡ると想像されています。
拝殿内にある三ツ鳥居(鳥居三つを一つに組み合わせた大神神社独自の鳥居)より先は禁足地となっています。

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